長い人生お疲れ様でした
昨年2022年の年末、父が亡くなりました
子どもが生まれて実家に戻ったとき、父の本当の姿といいますか
「こんな人間だったのか」ということを目の当たりにして
それまでの尊敬の念や親愛の情は薄れていて
余生を施設で送ることになったときもかなり抵抗されたのですが
冷静に対応してなんとか無事に引っ越せたのです
少し前から「そろそろかも」と思っていたので取り乱すことはなかったですが
遺体を見ると様々な思いが溢れて泣けました
年末ぎりぎりの27日に亡くなり、慌てて葬儀屋さんを探し
あとはあちらでやっていただけたので思ったほど大変ではなかったです
亡くなったという知らせが施設から来た時に
「恨んでるだろうな」と聞こえてきました
咄嗟に「恨んでないよ、もういいよ 最後に会いたかった」と伝えたところ
なぜか”行先が変わった”と感じました
気になって色々と調べていたところ四十九日のことが書かれたサイトを見つけ
読んでみると
故人は初七日を迎えてから7日ごとに、生前に犯した罪を閻魔様によって裁かれ、四十九日をもって来世の行き先が決定されるのです
とありました
殺生をしていないか、嘘をついていないか、など様々な問いがあり
検証されるようです
それで気にして私に聞きに来たのか?
それとも良心から聞きに来たのか?
わかりませんが、生前の恨みは本当にもう、どうでも良くて
「また来世でも会おうね」と伝えました
葬儀のときに棺の中の自分の顔をいつもよくしていたポーズで上から覗き込んだり
そわそわと落ち着かない様子で視えていたのが少し可笑しくて
悲しみよりも愛しさを強く感じました
四十九日は仏教でのことで、父は生前仏教徒であったため
なのかもしれません
私も生まれた時すぐに入信させられていたので自我が芽生えるまでは
信者でしたが今は離れています
そのせいか、神社には行っていましたがお寺には興味がなく
いくこともなかったのですが今回のことをきっかけに
お寺に行くことになるのです
続く