【記録】紅月水晶のちょっと不思議な子ども時代
私の生い立ちを話すと、たまに
「なにその自慢(笑)」
と嘲笑されたり酷いときは嘘つき呼ばわりされるのですが
事実をお話しているだけで自慢しているつもりはありません(。ŏ_ŏ)
経験していないことを理解出来ないのは仕方のないことだと思いますが
自分の境遇と違ったり自分にとって未知なことは
「嘘」と決め付ける心境は良くわかりません。
固定観念・思い込み・有名人、もしくは親しい人の
言うことが正しいというような思考はとても浅はかで愚かだと思います
__人々は自分の理解出来ないことを嘲笑する
(A Conan Doyle)
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私には兄がいたのですが亡くなってしまったことを
おなかの中に居るときに聴いていたので
話せるようになってから
「おにいちゃん、何で死んじゃったの??
と言い出し母をギョっとさせたり
前世で観た記憶のことを父に話し不思議がらせたり。
初めての子であった兄を亡くしていた
せいもあってか甘やかされ可愛がられ
毎日毎日、母の趣味でボンネットや帽子を
被らされフランス人形のようなフリッフリのドレスを着せられ
行く先々で「赤ちゃんモデルしてるの??」
などとちやほやされていました(  ̄ - ̄) トオイメ
実際、父が某広告代理店も経営しておりましたので
そのツテで子役モデルをしていました。
それから両親とも音楽好きで
家の中は常に音楽が流れていたのですが
2歳のある日、チェンバロの音に衝撃を受け
「これやるのーやるのー!!」と訴えました。
この少し前に映画のワンシーンのような
ヨーロッパ貴族たちが集まる中、楽器の演奏を
聴いている夢などをよく観ていて他の楽器のどれよりも
惹き付けられていたのが”絵の書いてあるピアノ”で
(チェンバロのことを親に説明するときにこう言っていた)
このとき家でたまたま流れた音が
夢で見聞きした音と同じだったのです。
しかしチェンバロを教えてくれる教室など
みつからず、「ピアノ弾けるようになったら
チェンバロ弾けるよ~」と両親に騙され(笑)ピアノを買い与えられると
そこそこ弾けてしまう私に何を期待したのか
音楽大学へ進ませる話なども出て(早いよ(笑)
3歳のお誕生日を迎えてから個人レッスンの先生を呼ぶことに。
先生に「ピアノ向きのお手々だねぇ」などと
おだてられ、スパルタレッスンの日々が始まるのでした。
親戚が美術館を運営していたり父の”一流へのこだわり”(笑)
のおかげで、良いものに囲まれており、バッハを聴きながら
食器・絵画・ドール・骨董品などをじーっと眺め
夢に出てきた光景と照らし合わせ妄想するのが趣味でした。
特に中世ヨーロッパの記憶が強く残っていて
それを辿るようにあらゆる歴史書、古城や絵画の写真集
西洋アンティークの本などを読み漁っていました。
そうそう、幼稚園の時にものすっごい体験を
しているのですが、ここには書けないので
興味のある方はセッション中に聞いて見てねb
この頃には英語を話したり、小学校レベルの勉強も
出来てしまうので、普通の子どもとはかなり違っていることは
両親も理解していましたが、霊的なことに関しては
受け入れようとしてくれずただ単に頭が良いと
思われていたので大人が読むような
百科事典や小説などを与えられていて、それが面白くて
読破していたので禁止されていたわけではなかったのですが
初めて漫画を読んだのは中学生になってからでした(;´Д`)
この、「ほかの子どもと違う」ということで
幼稚園の頃から中学卒業までは
先生から始まったイジメに合ってきました。
子どもの頃って親や先生って絶対的権力
であるかのように思うじゃないですか。
なので
「先生が嫌ってるから水晶と遊んだらダメなんだ」
とばかりに、仲間はずれ・無視の対象になっていたのです。
しかしそんな先生たちのことは
「私情・主観で個々の才能の芽を摘んで潰すダメな大人」
同級生は
「人の噂に流されて真実を見ようともしない○○」
などとして認識していましたので
悲しくも寂しくもなかったですね。
生まれてすぐの頃からこの世の人でなくなった方や
UFOと言われるもの、不思議な存在たちと遭遇・交流していましたが
小学校高学年になるくらいまでは人間とそれらの区別が付かず
親に伝えて叱られたり友だちに気味悪がられたりもしていました。
なにか言うと叱られたりするので
子ども時代はかなり無口でした。
子ども時代はね(微笑)